2023年9月24日礼拝説教(松本筑摩野伝道所との交換講壇)

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聖書
 旧約聖書 創世記48章8~11節  (旧約聖書88頁)
新約聖書 ルカによる福音書2章25~35節 (新約聖書103頁)
説教「老いのハレルヤ」要旨
□はじめに
松本筑摩野伝道所は今年創立32周年を迎えました。昨年度は 30 周年記念文集を発行しました。寄稿下さりありがとうございます。ですが、25 周年文集では 61 名中 23 人もの松本教会信徒から原稿を頂けたのに対して 30 周年では 37 名中 7 名になりました。この間に亡くなられた友が少なからずおられましたし、双方の教会で、伝道所設立前後から今日まで具体的な体験を分かち合える人が年ごとに少なくなっています。
□物語という証言
ところで、2千年も前の出来事はどのようにして私たちに届いたのかをまず考えます。
新約聖書は何段階かの記録の選択を経て、400年代の教会会議で39巻の原型が決定されました。ルカ福音書は比較的早い時期の、個人的な手紙がそのまま主イエスの言葉と行いを記した福音書として教会で拡がりました。著者ルカは後から教会のメンバーになった人で、師匠のパウロやペトロなど第1世代の信仰者の言葉や第2世代に語り伝えられた「伝承」を集めて整理して著しました。それは使徒言行録の書き出しで説明されています。(福音書・使徒言行録ルカ著作説)
イエス乳児期の一番確かな伝承は母マリアの記憶のはずです。ルカはマリアの記憶と理解できないもどかしさを「心に留めて思い巡らし」と表現しています。そして物的証拠、契約書や官報ではなく「天使や聖霊のお告げ」という神秘的な伝え方で、信仰によって理解して欲しいと願っているように思います。そういう角度、視線から、今日の御言葉を聴いていこうと思います。
□一期一会
イエスは神の民イスラエルの一員として生まれました。8日目に割礼を施されイエスと名付けられました。モーセの掟に従い両親はイエスを「初子」として神に献げました。献げた動物が家鳩の雛2羽だったことから貧しさが示されます。そして、原文では「見よ!」と注意喚起されています)一人の老人の言葉がマリアの心に焼き付けられ、後に教会の伝承になったと考えられます。
マリアはイエスを抱いて夫と一緒に神殿の境内に入りました。その時、その子を抱かせて欲しいと
近づいてきた老人にイエスを託しました。そして、いきなり神を褒めたたえたのです。
「主よ、今こそあなたは、お言葉通り、この僕を安らかに去らせて下さいます」
何事かととまどうマリアとヨセフ、赤子を抱いた感無量の老人がそこにいました。
マリアがはっとしたのは「主よ、今こそ」ではなかったでしょうか。1年前、結婚前に天使が言った言葉「あなたは身籠もる。おめでとう。あなたは神から恵みを頂いた。イエスと名付けよ。いと高き方の子。王座と支配。あなたに聖霊が降る。生まれる子は聖なる者。神の子と呼ばれる」を思い起こしたに違いありません。「心に留めていた」天使の言葉に光があたったからです。
この老人は、どれほどこの時を待っていたでしょうか。彼の身分や年齢や生活習慣は老女アンナのように詳しく紹介されていませんが、高齢であることが暗示されているので、1世紀はじめの世界状況やユダヤ地方の権力闘争を見てきた人として、神の正義をどんなに求めていたか想像できます。
ルカが「神を待ち望んでいた人、つまり正しい人」であり「イスラエルが慰められること、つまりメシアの出現を待ち望み、祈り続けていた人」であり「この子が、まさに神の約束の子だと直感する、聖霊の働きを身に帯びている人」として紹介しているからです。
シメオンはありふれた名前です。ペトロはイエスからシモンと呼ばれていますが、正式にはシメオンです。ですから老人の本名は重要ではありません。むしろ名が「神は聞いて下さった」を示していることと重ねて「主よ、今こそ聞いて下さった」と証言したからこそシメオンなのです。
□世界に拡がる救い
「わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えて下さった救いで、異
邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」
シメオンの言葉は、預言でもありました。ユダヤ人の信仰ではローマ人や敵対する民族は救いの対象ではありません。ところが、聖霊はイエスという赤ちゃんを抱いた日、その目を覗いたとき、シメオンの信仰を「万民の救い」へと飛躍させたのです。
このような転換をさせる力こそ聖霊の働きです。『兄弟たち、霊的な賜物については次のことを知っておいて欲しい。・・・聖霊によらなければ誰も「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ誰も「イエスは主である」とは言えないのです。(1コリント 12:3)』
□人生の目標:ミッション
シメオンが見たのは「全世界の人々が神の真理に目覚め、それによって選民意識に囚われて神の本当の栄光を見られなくなっているイスラエルの解放」という幻でした。それゆえに、この子を全身全霊で祝福し、(聖)家族を祝ったのです。しかし、それだけで終わりません。
『ご覧なさい(見よ!= 25 節も)。この子はイスラエルの多くの人を、倒しもし、立ちあがらせもする(立ちあがる=復活と同義)。つまり強力な反対を受ける徴も定められて(お母さん)あなたは剣で心を刺し抜かれる。それによって多くの人の心の奥にある本当の思いがはっきりするのです」と。
シメオンの預言は、赤ちゃんイエスが引き受けねばならない悲しみ、苦悩をも含みました。
□私たちが到達するところ
誰の人生にも意味があります。ところが、生まれながらの心や目は、親やその時代の風潮によって違う方向に誘導されています。うまく世渡りしている人や、評価され成功した人に光が当たります。
逆に「どうして、いつまで、なぜ私だけが」という苦しみを背負った人もいます。
しかし、一人一人の人生の目的は、創造主だけの秘密です。それを知るには時間と忍耐が必要です。
その環境は試練に遭遇したときです。老いの寂しさ、不安は長く生きてくれば誰にも訪れます。
シメオンから「今こそ、安らかに去らせて下さいます」という万感の思いがほとばしり出ました。裏返せば、この子を抱くまでは「主よ、いつまでですか」「なぜ、これこれなのですか」という終わりのない問いに眠れない日もあったと思います。シメオン一人の悩みや祈りであるだけでなく、同時代を生き、感情を失わなかった、生きた心の「痛み」だったと思います。自分の事だけでなく、同胞の将来のこと世界の行方に、心身が弱っていく中でも目を向けていた高齢者がここにいました。
□教会形成の主題
筑摩野では5年ごとに記念誌による寄稿や資料によってその歩みを冊子に残してきましたが、並行して5年幅で御言葉を味わっています。早いもので私自身も41歳から68歳になりました。
2018 年度~ 2022 年度の御言葉は、「わたしたちはキリストの体(1-5)」でした。その真ん中3年間がコロナによる試練でした。それは形を変えてこれからもあるでしょう。
今年からの主題は「キリストの愛で造り上げられる(1)2コリント 12:19」です。パウロの言葉が身にしみます。同時に励みとして聴いています。パウロは晩年『私たちはこのような宝を土の器に収めています。・・・だから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの「外なる人」は衰えていくとしても、私たちの「内なる人」は日々新たにされています。』と証ししています。
□老いのハレルヤ
この世界はますます「早い」「安い」「うまい」に傾いていきます。早く結論や方向を出し、早く結果を出し、競争に勝ち独占すること(誰かを犠牲に)、株価が高いことなどに目が向きますが、最先端の技術も商品もすぐに古くなり、人間の価値観も流れていきます。本当の価値に関心は薄いのです。しかし、聖書は語りかけます。
25節の直訳は「見よ、エルサレムにシメオンという人がいた」そこに生きた人がいた。その事実
がとても大事です。老いるまで正直に生き、弱さの冠を戴いている「主よ、今こそ、わたしはあな
たの救いを見ました」と心からハレルヤを叫び、次の世代への救いの証しをするのです。

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